えー、みなさんこんにちは!!
ファーブルです。
さて、前回のブログの告知通り、今回は「元気なまちづくり先進地視察研修」
2日目の様子をお伝えしたいと思います。
この「元気なまちづくり先進地視察研修」
1日目は
『★元気な地域づくりに学ぶ』
ということで、
綾織地区センター
⇓
遠野ふるさと村
⇓
常堅寺「カッパ淵」
⇓
伝承園
と、盛りだくさんな内容でした。
そして、2日目は
『★被災地域の復興と防災活動に学ぶ』
をテーマに、陸前高田市の方へ伺いました。
まず、到着後すぐに現地の語り部と合流。
その場から早速、震災の被害状況や当時の話が始まります。
写真は、語り部との合流地点でもあった道の駅「高田松原」
奇跡的にもこの施設での死者は居ないそうで、
当時の状況をそのまま残しているそうです。
建物の中は想像をはるかにしのぐ状況で、津波の引き潮によって流されてきた大木が建物に突き刺さるなど、目を疑うような光景でした。
道の駅「高田松原」を出発し、バスの中でも語り部の話は続きます。
この陸前高田市、メディアの報道などでご存知の方も多いと思いますが、
「奇跡の一本松」で有名な場所でもあります。
今回、近くで見ることはできなかったのですが、遠目で確認することができました。
語り部による「奇跡の一本松」の話も、とても考えさせらせるものでした。
と、いうのも
私たちにはメディアを通じた情報から、「奇跡の一本松」は、
“復興のシンボル”
というイメージがどうしても強いのではないでしょうか?
しかし、「奇跡の一本松」が生木ではなくレプリカになってしまった今、
現地では、様々な議論が繰り広げられているそうです。
次に立ち寄ったのはJR陸前高田駅
正直、バスを降り、ホームのを見るまでそこが駅があった場所とは信じられませんでした。
もちろん、現在では、当時残っていた建物もほぼ取り壊され、
全域がさら地になっているせいでもあります。
当時の時刻表も無残に、そのまま残っていました。
ここでも、語り部より貴重な話の数々を伺うことができました。
そのなかでも、特に印象深かったのは
「奇跡の集落」と呼ばれている岩手県大船渡市吉浜という集落の話です。
吉浜地区(当時は吉浜村)は明治三陸大津波(1896年)で、住民の約2割に当たる約200人が死亡したそうです。当時の村長は高台に家を再建するよう促しました。
さらに悲劇は続きます。
1933年、昭和三陸津波が襲ったのです。低地に住んでいた住民、17人が犠牲になりました。
そこで、村長は住民のために私財をなげうつなどして高台移転の移住先を用意したそうです。
しかし、海沿いの吉浜地区は漁業が盛んであり、
漁業に携わる住民の大半が高台への移転に反対したそうです。
しかし、住民の反対を押し切り、村長は高台移転を訴え続けたそうです。
そして、とうとう住宅をすべて高台に移転することが出来ました。
そして、この度の震災では、1名の行方不明者を出してしまったものの、
住宅の津波による被害は“ゼロ”という
奇跡的な結果ですみました。
そのことから、防災には時として半ば強引とも思えるような強固な意志がその後を大きく左右することもあるのだなと感じました。
しかし、未来のことは誰にもわかりません。
不確かなことを想像し、人を動かす難しさも同時に感じることが出来たと思います。
さて、視察研修の最後は
宮城県気仙沼市本吉町にある「前浜マリンセンター」に行ってきました。
実はここ、過去のブログでも載せていますが、
上棟式の際に黒沢地区の方々と一度訪れています。
上棟式の時はまだ骨組みだけでしたが、完成した現在
見違えるほど立派な建物になっていました!!
中は新築のいい匂い・・・
玄関をくぐり、中へ入ると
ありました!!
我が最上町、明神にお住まいの大場 康次さんの名前!!
そして、隣には
黒沢町内会の木札が!!
そうです、過去のブログを見ればわかりますが、
この「前浜マリンセンター」の建設には、最上町が大きく携わっております。
室内には席が用意されており、そこで建設にまつわる話や、施設の使用状況など
様々な話を伺うことが出来ました。
話のあとは、自由に見学。
建設風景の写真も壁に展示してありました。
最後に、お土産として椿の種を頂きました。
来年の春に自宅の敷地に植えたいと思います!!
そして、「前浜マリンセンター」の視察を終え、今回の2日間に亘る研修に幕を下ろしました。
今回の研修を経て、私自身今まで交流ができていなかった区長さんや公民館長さんと交流ができたのが、何よりも大きな収穫だったと思います。
もちろん、綾織地区の話や、陸前高田の語り部の話を
伺えたのもとても大きな収穫だったのではないかと思います。
今回の研修をもとに、今後の地域づくりに活かしていけるように頑張ります!!